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銭湯が無くなった

2018年10月13日
かなり前には、近くに銭湯が三ケ所あった。
尼崎市尾浜町(あまがささきしおはまちょう)3丁目
には東温泉が、尾浜町1丁目に第二名月温泉
(尾浜温泉)、尾浜町2丁目に名月温泉(めいげつ
おんせん)があった。名称に温泉は付いていても、
天然温泉でなく単なる銭湯だった。
まず東温泉が廃業し、次に第二名月温泉が廃業
した。名月温泉ががんばっていたが、2018年9月
30日(日)をもって最後の営業を迎えた。

2018年6月18日(月)の大阪府北部地震で震度5弱を、
9月4日(火)には台風21号で強烈な風に見舞われた。
名月温泉の廃業を早めた理由が、災害であるのは
想像できる。

近くの銭湯が皆無になることは、淋しい。各家庭に
内湯があるのが当たり前の時代に、早晩銭湯が
消えるのは仕方ない。
小規模でも天然温泉を掘削しないと、生き残れない
時代に入ったのかもしれない。
(阪神地域、広域で温泉はお金さえ掛ければ出る。)

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2002年5月26日(日)の雹とバラ

2018年09月26日
1990年代末、つかしんの少し北のミドリ電化で
バラの苗木を買った。この頃は、苗や種も含めた
園芸用品を扱っていた。枯らしたいきさつは
失念したが、1985年まではバラの庭木があった。
単にバラの花がないと寂しいからと、苗木を
買ったように思う。
単純に育て易いだろうと、鉢植えにした。
赤色で強健種という表示があり、あまり考えも
なく、ジョン・ウォータラーにした。
たまに調子が悪く、咲かないシーズンもあっ
たが、成績は良くないものの、濃いめの赤い
綺麗な花を楽しませてくれた。

2002年5月26日(日)に限られた範囲(尼崎、他)
で、一番大きなものでピンポン球サイズの
雹(ひょう)が降った。バラの葉は、孔があき、
無惨な姿になってしまった。このとき二階の
ベランダ(物干し)やガレージ、物置小屋の波板
を修理した。

この後、そこそこの日数を要したが、なんと
かバラは花を咲かせるまで回復した。

ところが2016年に、メンテナンス不備で
枯らしてしまった。
バラを育てるのは、難しい。

雹とバラの想い出でした。
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庄下川の鯉が増えた訳

2018年09月24日
尼崎市(あまがさきし)に庄下川(しょうげがわ)という
川がある。明治になり、尼崎城(あまがさきじょう)が
取り壊されるまでは、城の堀の一部も担っていた。
それほど川幅もない河川だが、市のほぼ中央を南に
向かって流れ、支流の合流部がY字型なので、地図上
では結構目立つ。
支流合流地点一帯で無花果(いちじく)の栽培が盛んな
時代には、旧市あたりからの無花果狩りの舟も運航
していた。
東海道本線の庄下川橋梁には、三つの時代の構造物を
見ることが出来る。
明治→レンガ積み(堤防橋台の一部)
大正→石積み(橋脚(下り線))
昭和(大正末期?)→コンクリート(橋脚(上り線))

なぜ庄下川の鯉が増えたのか?
1980年代後半に支流合流地点あたりにある廃油処理
の、同和油脂工業に勤務のS氏(1994年頃没)が、故郷
から持ち帰った鯉の幼魚を、没年の1994年頃まで
何度も庄下川に放流したことによる。
河川整備で水質が良くなった時期とも重なり、鯉が
爆発的に増えた。
増える以前は、主に支流合流部より上流にわずかに
鮒と鯉がいる程度だった。
鯉は、なんでもかんでも食べ尽くす食性なので、
「庄下川=鯉」という今のありさまになった。


※2018年9月24日(月)追記
水質が良くなったから鯉が増えたとのたまう方が
多くいるが、水質だけで鯉だけが急激に増える
ことはない。
①何年にも渡り、人為的に鯉の幼魚が放流され続け
た。
②河川の整備で水質が良くなってきた。
③パンの耳などの餌やりをするひとが増えた。
④鯉の生息環境、繁殖環境に庄下川が合っていた。

ただ鯉だらけというのも、どうなのかな。

追記2
一時鯉狙いの釣り人がたくさんいたが、
簡単に釣れ、おもしろみがないのか、
近年はたまにしか見かけない。
過去に一瞬少量の紅白の鯉が放流された
ことがあるらしいが、S氏が大量に放流
した普通の黒っぽい鯉に淘汰されたのか、
今は殆んど見られない。
いまさら故人の行為(鯉の継続的大量放流)
を責めても仕方ないが、庄下川が鯉だらけ
になったのは事実であり、草葉の陰から
どう思っているのだろう。

追記3
2005年頃から冬場に、Y字型合流点にまで、
カモメ、たぶんユリカモメが来るように
なった。サギやウの仲間も普通にいるように
なり、鯉が増えたのと関連があるのだろう。
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旭屋書店のバラック店舗

2018年09月22日
大阪駅の南側一帯は、第二次世界大戦終結後の
どさくさにまぎれて、不法占拠のバラック店舗が
乱立していたらしい。四棟の大阪駅前ビルも
バラック店舗の立ち退き跡に出来た。
山上たつひこさん作、秋田漫画文庫版の喜劇新
思想大系を旭屋書店のバラック店舗で買った
記憶がある。バラックが二棟ほどで書店をなし、
床は歩くとギシギシきしみ、棟と棟の地道の
連絡道には、ぬかるみにはまらないよう、厚め
のベニヤ板が敷かれていた。
現在大阪マルビルが建っているあたりに、旭屋
書店も含め数店のバラックが取り壊し末期まで
残っていた。
旭屋書店は、曽根崎警察署の南方に移転し、
永らく大阪本店として営業していた。
大阪駅前ビル建築にあたって、不法占拠の
バラック街を立ち退かせるのに、大阪市は
立ち退き料を支払ったというからあきれる。

話しは、場所が少し変わるが、大阪ミナミの
法善寺横丁が過去に何回か火事をおこしている。
通路も狭く、普通なら狭い通路のままでは再建
出来ないのに、無理やり法の特例適用で再建
されてしまった。
先ほどの梅田のバラックと同じように、時代
は少し異なるが、法善寺境内にどさくさに
まぎれて出来たのが法善寺横丁になる。

いつの時代も、ゴネ得を決め込むヤカラは
いる。


※大阪駅前ビルを建てるにあたって、立ち
退き料の支払いはありましたが、旭屋書店
のバラック店舗は大阪駅前ビルとは離れた
場所になるので、立ち退きにあたっては、
どうだったのかわかりません。
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イオン、イオンモールばかりじゃいや

2018年09月18日
現在の住民票の住所は、尼崎市となっている。
だいぶ前にあった面白いスーパーのカルフールは、
フランス資本が撤退したのちイオン尼崎店に変わ
ってしまった。
元カルフールのイオン尼崎店は、規模がイオン
モールと呼べるほど大きくないので単にイオン
店となっている。
鹿児島も、堺北花田もイオンは造りが似ていて
なんかつまらない。
(ハンバーグのびっくりドンキーですら、店により
少しずつ飾りのイメージを変えているのに。)
家から自転車で行ける距離に、イトーヨーカ堂が
来て欲しいのは贅沢な願いだろうか。

尼崎はまあまあな規模のショッピング街が乱立気味
なので、無理だろうな。(シュン)
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