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庄下川の鯉が増えた訳

2018年09月24日
尼崎市(あまがさきし)に庄下川(しょうげがわ)という
川がある。明治になり、尼崎城(あまがさきじょう)が
取り壊されるまでは、城の堀の一部も担っていた。
それほど川幅もない河川だが、市のほぼ中央を南に
向かって流れ、支流の合流部がY字型なので、地図上
では結構目立つ。
支流合流地点一帯で無花果(いちじく)の栽培が盛んな
時代には、旧市あたりからの無花果狩りの舟も運航
していた。
東海道本線の庄下川橋梁には、三つの時代の構造物を
見ることが出来る。
明治→レンガ積み(堤防橋台の一部)
大正→石積み(橋脚(下り線))
昭和(大正末期?)→コンクリート(橋脚(上り線))

なぜ庄下川の鯉が増えたのか?
1980年代後半に支流合流地点あたりにある廃油処理
の、同和油脂工業に勤務のS氏(1994年頃没)が、故郷
から持ち帰った鯉の幼魚を、没年の1994年頃まで
何度も庄下川に放流したことによる。
河川整備で水質が良くなった時期とも重なり、鯉が
爆発的に増えた。
増える以前は、主に支流合流部より上流にわずかに
鮒と鯉がいる程度だった。
鯉は、なんでもかんでも食べ尽くす食性なので、
「庄下川=鯉」という今のありさまになった。


※2018年9月24日(月)追記
水質が良くなったから鯉が増えたとのたまう方が
多くいるが、水質だけで鯉だけが急激に増える
ことはない。
①何年にも渡り、人為的に鯉の幼魚が放流され続け
た。
②河川の整備で水質が良くなってきた。
③パンの耳などの餌やりをするひとが増えた。
④鯉の生息環境、繁殖環境に庄下川が合っていた。

ただ鯉だらけというのも、どうなのかな。

追記2
一時鯉狙いの釣り人がたくさんいたが、
簡単に釣れ、おもしろみがないのか、
近年はたまにしか見かけない。
過去に一瞬少量の紅白の鯉が放流された
ことがあるらしいが、S氏が大量に放流
した普通の黒っぽい鯉に淘汰されたのか、
今は殆んど見られない。
いまさら故人の行為(鯉の継続的大量放流)
を責めても仕方ないが、庄下川が鯉だらけ
になったのは事実であり、草葉の陰から
どう思っているのだろう。

追記3
2005年頃から冬場に、Y字型合流点にまで、
カモメ、たぶんユリカモメが来るように
なった。サギやウの仲間も普通にいるように
なり、鯉が増えたのと関連があるのだろう。
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フィルム式コンパクトカメラ

2018年09月22日
1993年頃、兵庫県西宮市の阪神甲子園球場近く
のプランタン甲子園で、パノラマ撮影も出来る
フィルム式カメラがお買い得価格で売っていた。
「オリンパス IZM220 Panorama Zoom」という
機種で、コンパクトデジタルカメラを購入する
まで、使っていた。

それから時は経ち、2007年にインターネット
検索をしていて、昔買ったこのフィルム式の
カメラがリコールされていることを知った。
対応窓口に電話すると、新品の現行機種(2007
年当時の)と交換すると言われ、今さらフィ
ルム式カメラを貰ってもなぁと思いつつ
交換に応じた。交換されたのは「μ-III 150」
という機種で、一度も使わないまましまって
いた。

今年8月末、体調不良で検査のため紹介の上、
外来で検査を受けると、即入院となってしま
った。大貧民生活の身の上では、経済的にも
とてもきつい。しかし、じたばたしても仕方が
ないので、入院代の支払いはカード支払いに
して、実質の支払い日を伸べ送りにし、治療に
専念することにした。

一応、リハビリの種類に応じて、三名の先生が
担当になっている。
リハビリを受けているとき、よく雑談を交わす。
このうちの一名の方が、フィルム式カメラで撮る
写真に、興味があることが判った。
そこで、外出許可が下りているので、台風21号
来襲以来、一度も入っていなかった自宅、
約66時間停電していたらしい家に入り、食品の
処分、掃除、銀行引き落としでないものの支払い
などをしたあと、死蔵品のカメラを持ち帰り、
進呈した。
動作するかどうかわからないから、点検してねと、
申し添えて。
家にある若干の昔撮ったプリントも、参考になる
かなと、持ち帰り見せた。
この中には、若かりし頃のわたくしの写真も
あった。母が亡くなったときに母が淋しくない
よう、前年に先に逝った犬のカラー写真の
殆んどを棺に入れたので、もうカラーの犬のは
ないと思っていたが、寝姿の写真が一枚だけ
出てきた。

まさか、2018年になり、フィルム式カメラの
貰い手が見つかるとは、不思議なこともある
ものだ。
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旭屋書店のバラック店舗

2018年09月22日
大阪駅の南側一帯は、第二次世界大戦終結後の
どさくさにまぎれて、不法占拠のバラック店舗が
乱立していたらしい。四棟の大阪駅前ビルも
バラック店舗の立ち退き跡に出来た。
山上たつひこさん作、秋田漫画文庫版の喜劇新
思想大系を旭屋書店のバラック店舗で買った
記憶がある。バラックが二棟ほどで書店をなし、
床は歩くとギシギシきしみ、棟と棟の地道の
連絡道には、ぬかるみにはまらないよう、厚め
のベニヤ板が敷かれていた。
現在大阪マルビルが建っているあたりに、旭屋
書店も含め数店のバラックが取り壊し末期まで
残っていた。
旭屋書店は、曽根崎警察署の南方に移転し、
永らく大阪本店として営業していた。
大阪駅前ビル建築にあたって、不法占拠の
バラック街を立ち退かせるのに、大阪市は
立ち退き料を支払ったというからあきれる。

話しは、場所が少し変わるが、大阪ミナミの
法善寺横丁が過去に何回か火事をおこしている。
通路も狭く、普通なら狭い通路のままでは再建
出来ないのに、無理やり法の特例適用で再建
されてしまった。
先ほどの梅田のバラックと同じように、時代
は少し異なるが、法善寺境内にどさくさに
まぎれて出来たのが法善寺横丁になる。

いつの時代も、ゴネ得を決め込むヤカラは
いる。


※大阪駅前ビルを建てるにあたって、立ち
退き料の支払いはありましたが、旭屋書店
のバラック店舗は大阪駅前ビルとは離れた
場所になるので、立ち退きにあたっては、
どうだったのかわかりません。
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雑誌の思い出(3)

2018年09月19日
今回は具体的な雑誌を指すネタではなく、関連
のネタです。

「山上たつひこ」と「鴨川つばめ」
かなり前、山上たつひこさんのギャグ漫画
「がきデカ」が流行った。しばらくして、鴨川
つばめさんの「マカロニほうれん荘」が
掲載されるようになると、「がきデカ」は
一時の勢いを失い、「マカロニほうれん荘」
の掲載誌ばかり買うようになった。
鴨川つばめさんの発するギャグパワーは、一種
の麻薬的な吸引力で虜にし、愛読者はたくさんの
お布施を出版社に支払うこととなった。
山上たつひこさんは、近年発行された記念誌(?)
で鴨川つばめさんの才能に驚き、戦意を喪失して
しまったようなことを書かれている。
しかし、鴨川つばめさんの「マカロニほうれん荘」
での活躍は長くは続かなかった。一発屋芸人の
ごとく、消え去った。
山上たつひこさんも、鴨川つばめさんも、優れた
ギャグ漫画描きは、作品に魂を注ぎ込み、磨り
減らして漫画家人生が短命になってしまうのかも
しれない。
(息の長かった「こち亀」の作者の秋本治さんが、
才能がないのに運だけで長寿作品を描けたとは、
言っていません。)
※2018年9月19日(水)
あれれ、どちらも少年チャンピオン掲載作品で
したね。すみません。「マカロニほうれん荘」は
週刊以外に、月刊や増刊号とかを積極的に買って
いました。「マカロニほうれん荘」のみ掲載の
増刊号(?)がまだ家にあるはずです。

作業所での付録の袋詰め作業
いつ頃だったかな、学研の「学習」か何かの雑誌
を定期的に購読していた。何かのテレビ番組で、
購読していた号の雑誌の付録の袋詰め作業を、
障がい者の方々が作業所でしているシーンが映し
だされた。「この間組み立てた付録やん。人の手
で一つずつ丁寧に作業してるんや。」と妙に感心
した。そして、昔のほうが、おおらかというか、
あたたかかったので、作業所から暗いイメージは
感じられなかった。
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イオン、イオンモールばかりじゃいや

2018年09月18日
現在の住民票の住所は、尼崎市となっている。
だいぶ前にあった面白いスーパーのカルフールは、
フランス資本が撤退したのちイオン尼崎店に変わ
ってしまった。
元カルフールのイオン尼崎店は、規模がイオン
モールと呼べるほど大きくないので単にイオン
店となっている。
鹿児島も、堺北花田もイオンは造りが似ていて
なんかつまらない。
(ハンバーグのびっくりドンキーですら、店により
少しずつ飾りのイメージを変えているのに。)
家から自転車で行ける距離に、イトーヨーカ堂が
来て欲しいのは贅沢な願いだろうか。

尼崎はまあまあな規模のショッピング街が乱立気味
なので、無理だろうな。(シュン)
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